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2009/10/09 / highmt

リファクタリング・ウェットウェア つづき(ただし本の内容とはあまり関係なし)

先のエントリに珍しくコメントをいただいたので、コメントしようと思ったのですが、
長くなってしまったので別のエントリとして書いてみました。

 

shidaさん

>>「暗黙知を形式知にせよ」と教えられたものですが、上記からはこれは否定されます。

>ここはちょっと違う解釈です。

自分が間違っているんだと思います。
それでもあえて間違ったことを書いてみます。
(ちなみにここでいう形式知は「文書化されている」ということです。口伝は含みません。)

明文化が大事、というのはわかるのですが、
知識の伝達という点では、いくつか問題があると思っています。

その一。
「明文化されたものは、実はわかっている人にしかわからないんじゃないの?」
というジレンマがあるかもしれないということ。

トム・デマルコのピープルウェアという本(ISBN4-8222-8110-8)には、
メンバーを入れ替えた際、新しいメンバーが元のメンバーと同じくらいの
生産性を取り戻すには、6か月かかる、といった記述があります。
人が慣れるのに6か月もかかる内容が文書で書かれていたとして、
文書を読んだだけで理解できるものでしょうか?
逆に、コミュニティの文化につかってる人は、
そのような文書は簡単に理解できるでしょう。

文書を最初から最後まで読むより、実際やってみてわからないところを質問する、
というスタイルのほうがはやい、ということもあるかもしれません。

その二。
そんな巨大な文書を誰がどうやってメンテナンスするのでしょうか?
内容が古くなったことをどうやって知るのでしょう?

なので、どうしても明文化しきれない、しないほうが効率がいいものがあるんだと思います。

といいながら。

明文化って大事ですよね。
できることならちゃんと文書になっててほしいし文書にしたい。
ないよりはあるほうがいいに決まってる。
そこのところのもやもやとした感じがなんとも扱いに困ってます。

聞ける人が多くいる(伝道師っていうんですかね)、というのは、
コミュニティの暗黙知を新参者に伝えていくひとつの答えかもしれません。
でも、その状況に甘んじていると聞ける人がいなくなるという…。

 

t_yamoさん

>> 何が起きているのかに気づけば知識を習得することは容易

>これは「本当か?」って思います。

これは自分の書き方が悪いのかもしれません。
「気づいていない状態で知識を習得するより相対的に容易」
「コンテキストを理解する段階より相対的に容易」
ということなら同意していただけるかもしれません。
気づいちゃえばあとは何もしなくてもわかるよ、ということではないです。

そういうわけなので、
「どっちに向かっているのかを示すヒントとしてのドキュメント」については、
自分も必要だと思います。
ただし、ここからまた間違った主張をしてみるのですが、
そのようなドキュメントは、何が起きているのか気づいている人の助けにはなっても、
「ノウハウの伝達」という目的ではあまり役に立たないような気もしています。
(役に立たない、と書くと主張が強すぎるんですが、
効率が悪い、というニュアンスです。)

それは、悟った人が書いた「悟りの書」みたいなものじゃないでしょうか?
悟った人が読めばわかりますが、そうじゃない人にはきっとわかりません。
悟った人がものごとをやるときに方向を間違えないためには必要ですが、
(これが標準化ということだと思います)
そうじゃない人がものごとをやるときに役には立たないような気がしますし、
そうじゃない人が悟る役にも立たないような気がしています。
(悟ってない人は、具体的にどうすればよいのかわからない、というのです。
もしくは、書かれている内容をまるで絶対の規律であるかのように解釈してしまうのです。
私がよくやるように。)
t_yamoさんは、そういう人にも役に立つと考えている、ということですよね。

悟ってない人に役に立つ文書は、むしろ「一から十まで網羅したドキュメント」
です。なにせ全部書いてあるので。その通りやれば間違いないんだから。
でも、そんな文書は実際上つくれません。
そのあたりのアンビバレントな感情を「標準化ドキュメントは無意味」と
先のエントリでは表現してみたのでした。

 

文書化は大事だと思います。実際文書がなくて困ることは多々ありますし。
ただ、完璧な文書化はできない、というところが自分の中で嫌な感じがする理由かもしれません。

あと、「リファクタリング・ウェットウェア」は上記のようなことを議論している本じゃありません。
念のため。

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2件のコメント

  1. t_yamo / 10月 10 2009 03:28

    #コメント>エントリ>コメントって何だか面白い形だけれど追いにくそうだ。#うちも自前のブログがあるのだからトラックバックでピンポンした方がよいかね。まず、「悟ってない人に役に立つ文書は~先のエントリでは表現してみたのでした」には同意です。それを前提として先のコメントの「一から十まではいらない」(「実際上つくれないなら不要」という意図あり)に繋がります。また、悟った人に対する「どっちに向かっているのかを示すヒント」として有用という点が合意できているっぽいことも了解しました。で、悟ってない人に対して不完全なドキュメントが役に立つか否かが残るのですが、「悟った人が読めばわかりますが、そうじゃない人にはきっとわかりません」のあたりを読んで、「ノウハウの伝達」「標準化」に対するイメージが人によって違うのかもと思いました。自分としては、「悟った人」もはじめは「悟ってない人」であり、いくつかの手がかりをもとに悟るものと考えていて、その手がかりのひとつとして不完全なドキュメント(=標準化ドキュメント)が機能する(=ノウハウの伝達に寄与する)のではないかなと考えています。つまるところ、当初のエントリの「何が起きているのかに気づ」くためのツールとして「標準化ドキュメントは有意」な気がしています。ただ「《不完全》な《ヒント》というのを『ノウハウの伝達』や『標準化』とは言わない」というスタンスの場合はまた違った見方になるのかもしれません。

  2. ttakaya / 10月 10 2009 18:29

    > つまるところ、当初のエントリの「何が起きているのかに気づ」くためのツールとして「標準化ドキュメントは有意」な気がしています。そうですね。悟りたい、と思っている人には有用な気がしてきました。一方で、いや今問題を解決したいだけなんですよ、という人には役に立たなさそうなんですが、そのへんは、もはやドキュメントだけでは手に負えなさそうです。ドキュメント書いたんだからそれ見てくださいよ、という態度がよくないんでしょうね。反省しなくちゃいけません。> #うちも自前のブログがあるのだからトラックバックでピンポンした方がよいかね。そろそろゲンダイテキなWebサービスに慣れてきたのでいろいろ挑戦してみます。

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